グレフルペンギンdays

グレープフルーツとペンギンを愛する人の日記です。不定期。

感性が死んだら終わり

 いつもそう思って仕事をしている。

 

 予備校で生徒を教えていると,いかに短時間で成績を上げるか,いかに効率よく成績が上がるか,みたいなことに傾倒している人間が多い。講師側も,生徒側も,「効率が良い=絶対善」みたいな前提がある。そりゃ,勉強が嫌いな生徒からすれば「嫌いな勉強はいち早く終わらせて楽しいことに時間を使いたい」のだろうし,その要望に応えるべく講師は「1週間で完成」とか「これだけで解ける」とかいう言葉を捲し立て,生徒を煽っている。

 でも,本当にそれで良いのだろうか。私は,効率が良い勉強とはすなわち“つまらない勉強”だと思う。つまらないから,効率を良くしないとやっていられないし,効率を良くしようとするから,本当に面白い部分に触れられず,つまらないまま終わる。効率の良さを追求することは,勉強をつまらなくする負のループへの入り口なのだ。皆,深淵を見たいか?

 だいたい,それなりに真面目にやれば,受験勉強は面白いものだと(少なくとも私は)思っている。受験勉強をつまらなくしているのは,過度に効率を重視する受験生ないしは受験産業なのだ。学問の本質を見据えて授業をしてくれる大人や,そういう学ぶ姿勢を導いてくれるような大人がいれば,受験勉強は面白くなる。逆に,そうであっても受験勉強に楽しさや面白さを見出せないような生徒は,そもそも大学進学に向いていない。

 元来,大学とは高等教育機関であって,高校から先の,さらなる学びを求めて進学する場である。受験勉強が自己目的化されるのはもってのほかだが,かといって一辺倒に手段として位置付けられるのも望ましいことではない。今学んでいて楽しい勉強のその先に,大学での学びがあるはずなのだ。理科や数学を勉強していて楽しくない生徒が,理工学部に進学して実りある学びを実現できるわけがない。可処分時間をYouTubeスマホゲームに費やしている場合ではなく,むしろ楽しい勉強に費やすべきである。

 

 他方,受験勉強がつまらないからと言って効率ばかり追求するような人間は,そのモノサシで動いている以上,結局のところ他者よりも自分のほうが物事を為す効率の悪いことに気づき,自らを否定し始める。自らの存在自体が,社会ないしは環境にとって効率の悪いものであると気づくのは時間の問題だろう。(いや,むしろそういうことに気づく気配すらないほど鈍感だから“効率”という安直なキーワードに食いつくのかもしれない…)

 かくいう私も,いかにも効率の悪い人生を送ってきた。理系科目の予備校講師になるのであれば,逆算して理工学部に進学し,大学院生1年目から大手予備校で下積みを経験するなど,いくらでもやりようはあったはずだ。でも実際は違って,大学では地球科学を学び,地学や地理などという受験産業のパイの中心地からは程遠いエリアに自ら舵を切って進んでしまったのだ。今,仕事で教えている内容の多くは,実は大学在学時に学んだことではなく,仕事を始めてから学んだことである。うーん,とっても無駄が多くて,効率が悪い。

 しかし,そんなことに一切の後悔はない。私はつねにやりたいことをやってきたし,やりたくないことはやらなかった。やりたいことをやってきた結果,今がある。もちろん,紆余曲折の中に,将来への不安が絶えない時期もあったし,全てがうまくいっているわけではない。でも,やりたいと思うことをフツーにやっているだけで,人生,前に進むことはできた。

 

 いろいろな意味で,私は恵まれていると思う。ただ,私より100倍,金銭的に恵まれている(と思われる)生徒でも,やりたいことがなくて,人生を前に進められない者もある。また,私より100倍,人間関係(あるいは社会資本)に恵まれている生徒もいるが,彼らでも金銭的に恵まれずに夢をあきらめる者もあるだろう。そういうことを考えると,私はバランスよく恵まれている。

 いくら能力が高くても,死んだ目をして亡霊のように受験勉強をしている受験生を目にすると,「ああコイツはいつか限界が来るな…夏終わりでフェードアウトかな」とか思ってしまうし,実際そうなる場合が多い。勉強が自分の意思で前に進めれらない以上は,自分の人生も自分の力で進めることができない。私は人生を楽しく歩めているが,彼らにはそれがない,その分岐点はなんなのか。

 そう,感性が死んだら終わりなのだ。「コレ楽しい」「ソレめっちゃ面白くない?」興味関心で動くことで,初めて自分の人生を自分の力で前に進められると思っている。私は今も,山歩きをしたり,まだ行ったことない場所へ旅することで,それがキープできている気がする。私が見聞きした経験があるからこそ,私の切り口で教えるという仕事ができる。32年生きてきた人間でさえ「わあ何これ見たことねえや」と感動するのだから,いま10代の若者がそれを経験したら,きっともっと感動するだろう。

 

 子育て中の全保護者へ,これから新たなステップへ進もうとしている若者へ,あるいは全人類へ。そして私へ。感性が死んだら終わりです。