グレフルペンギンdays

グレープフルーツとペンギンを愛する人の日記です。不定期。

年賀状,誰も得しない問題

 年の瀬です。テレビCMもクリスマスのチキンから日光山輪王寺に変わってきました。「福〜よ来い来い福よ来い〜(ポン)」のメロディで「ッシャきたきた〜!」とテンションが上がってくる関東の民です。

 そうやってテレビを見ていると,これも毎年恒例,年賀状のCMが流れてきます。今年は窓枠を郵便番号欄に準えたおしゃれなCM。私も大学院の修士課程くらいまでは毎年年賀状を書いていたし,なんならどんなデザインにするか考えたり実際にパワポで作ったりするのが楽しかった記憶があります。

 

動機は不純だったが,年賀状好きだった私

 私は元来ガジェッターなので,年に一度のプリンター大量使用イベントという点においても大好きなイベントでした。小学生の頃は年賀状1枚に1440×720dpiで2分30秒とかのクソ遅プリンタ(図1)だったのが,中学生になると解像度2倍・時間半分みたいに進化していく様を目の当たりにした世代である,というのも年賀状好きの所以かもしれません。(それと比べて今は解像度とか印刷時間はもう頭打ちで,スマホと繋がろうがタッチパネル操作ができようが全然ワクワクしません…)

f:id:syumichiri:20211227131822p:plain

図1 小学校高学年くらい?の時に実家で使っていたEPSON PM-750C
母方の叔母さんのお下がりとしてもらった代物。これでわざわざ写真屋に注文しなくてもデジカメ(これも当時最新鋭)の写真をPCに取り込んで年賀状を自作できるやん!と感動していた。6色インクで写真がキレイだけど今ではビックリするくらい遅い。ノズル少なすぎ。
出典 https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/pr9712/printer.htm

 大学以降は,プリンタいじりが楽しいというより,一人暮らしをし始めて会わなくなった(会う頻度が減った)人も増えたので,その1年を振り返り新しい報告をしたい,というモチベーションが強くなり,年賀状を作るようになりました。大学3年では初めての海外(実習のため)に行ったこと,4年では登山を楽しむようになったこと…毎年いわば自慢をするために作っていました(図2)。これまでお世話になった年長者(中学校や高校の担任など)にも報告を兼ねて送っていたので,そういう教え子の成長を見てたいそう喜ばれたことと思います。

f:id:syumichiri:20211228142343j:plain

図2 大学4年次(22歳頃)の年賀状
ただの自慢ばかりでうざい。めちゃくちゃうざい。こういう年賀状が届いても大半の人は喜ばない。でも当時は新しい経験の連続で楽しかったし,年賀状を作ることでその1年を振り返ることができて自己満足していた気がする。いや冷静に考えて大学4年の冬は年賀状を書かずに卒論を書けよふざけんな。

 しかし,大学院の博士課程から次第に報告したいことがなくなってきました。研究の進捗があったからとかいうわけではなく,単純に大学院生の生活が苦しく辛くなってしまったのです。そこから年賀状は1枚も書かず,かれこれ5年くらい経ちました。

 その5年の間に,私の身の回りの状況もガラッと変わりましたが,同時に社会情勢もガラッと変わりました。新型コロナウイルスの蔓延です。世の中のさまざまな物事は非接触・非対面へとシフトされ,それまで当たり前だったことが当たり前ではなくなりました。そうして,年賀状を送ることも当たり前ではなくなりました。

 いや,正確にいうと年賀状が当たり前のコミュニティも世の中には多数存在すると思われます。でも,その割合が減少した。そうなってきてはじめて,私も「年賀状って本当に送る必要あんのか?」と考えるようになりました。

 

年賀状,誰も得しない問題

 今年の冬は,昨年よりも感染状況が落ち着いている(とはいえもちろん先行き不透明だが…)ため,それほどでもないが,昨年は年賀状についてこんな論調をよく目にしました。

会えないからこそ,年賀状で伝え合おう

 そもそもなんで会えないかというと,新型コロナウイルスの拡散・伝播を防ぐためでした。ウイルスの拡散を防ぐために,人は出歩くことを控え,触れるものは逐一除菌をしてきました。世間のタスクもペーパーレス化が図られ,わざわざ自宅外の現場にある紙を手渡ししたり押印したりのために人が動くことを極力削減するように(リモートワーク推進の流れに)なっていました。それなのに,年賀状はいいの?

 もちろん,そういった物質的なやりとりをゼロにすることはできないのは承知しています。でも,年賀状はその中で優先されるべきことだったのだろうか…と,改めて考えてしまいました。年末年始で多くの人々が休暇のなか,毎日のように仕分けと配達を担ってくれている方々も,もちろん収入源としての一定の価値があるのは承知の上ですが,わざわざその時期にその仕事でなくてもいいはずでは?と思うわけです。おまけに昨年は郵便局内での職員の感染から営業休止の事例もあっただけに,そんなに過酷でリスクのある環境においてやるべきだったことなのだろうか…と思ってしまいます。労働力不足の世の中,元日から年賀状を配達する労働力よりも,もっと重要なものがあるはずです。

 年賀状を送る側ももらう側も,結局親しい間柄ほど年賀状なくてもいいよねの流れになりやすいし,相対的に毎年残っていくのは形式ばった誰も読まない年賀状なのです。誰も読まない年賀状に,取引先だからとか得意先だからといって,何百通何千通と金をかけるのです。

 こうなってくると,じゃあ年賀状があって嬉しいのはどこのどいつなんだ…?必死に考えてみました。

  1. 既得権益層(郵政族とか?)
  2. 年賀状を書くor作ることに生きがいを感じている人(大学4年の私)
  3. 年賀状でしかやりとりができないローテク人間からのannual reportを見るのが好きな人
  4. 年末年始の郵便業務で食い繋いでいる人,とにかくお金が欲しい学生
  5. 新型コロナウイルス

 このうち,2や3の方々については,私は一切否定するつもりはありません。好きなものはどんどんやったらいいし,実際にそういう人から届く年賀状は見て読んで楽しいものです。趣味の領域に目的や効率を求めるのはお門違いといったところでしょう。誰も得しない問題と銘打って述べてきましたが,nobodyではなくsomebodyでよさそうです。

 問題は1や4の方々です(5は半分冗談なのでスルー)。結局,安い短期労働力でもって年賀状の“文化”を守り,上でチューチュー利益を吸い取っている既得権益層が得をしている。政治や経済のプロではないので,実際のお金の流れがどのようになっているのか詳しくありませんが,本来は儲からない(儲けを目的とすべきでない)事業なのに大物使ってCMやってるとかいうものは大体そうですよね(雑)。

 

 大事なのは,前例があるからと押し付けないこと。やりたくないことはやらないこと。そういう意識で生きていけば,おそらく本当に無駄な年賀状は淘汰されて,やりたい人がやっている年賀状が必要なスケールで残っていくのではないかと思います。年賀状に限らず,そういう時代ですよね。年の瀬に思っていたことをとりとめなく書きました。

 それでは,また来年…